引きずって参加して

樱花飞雪

2025年01月19日 11:19

たぶん、今日の記事は、やたら長いと(たぶん)思う。
遠足から帰ってきた小学低学年児童が、リュックサックを下ろすや否や、息せき切って、母親に話すようなかんじか。
話は時系列。
あのね、あのね、と、自分の脳内では整理されず、勢いよく口から飛び出す。

と、自分でそう感じた。
アタマの中でブログ記事の実況中継の文字と同時進行で、耳&目、手足を動かす。

まず、話のスタートは、、、。
そもそも、今日は、京都の南禅寺や哲学の道を歩く会があった。
いつも知人Aさんに、強くプッシュされ、参加しているもの。
今年の夏は酷暑でどこにも行けなかった皺寄せ、鬱憤、鬱積を一気に吐き出すかのように、秋のウォーキングに情熱を注ぐAさん。
前回、先月の奈良、法隆寺は参加者200人超えの盛況ぶり。
その様子を蝶ブログにもしっかりアップした。
それはまあ、それで良いのだが。

わたしは、ずーっと長い間、このウォーキング会に参加したくない気持ちが燻っていた。
だが、Aさんの圧力に負け、いつも渋々参加。
参加したらしたで、清々しい外気に触れ、すっきりするのだが。
動くまでがなかなか、すごくエネルギーを必要とする。
2番目孫(小4男児)が宿題に取りかかるまでの抵抗力と同じぐらい?
その、やりたくない、行きたくない気持ちと闘っていたが、自分のためになる、健康のため、将来のため、と、自分を騙し騙し重いお尻を上げ、重い足を引きずって参加していた。
前回のような、秋の爽やか快晴、奈良の満足経験を直近にしているにも関わらず、また、重い気持ちはクリアされず、一から憂鬱気分が湧き起こる。
あんなに良かったのに、しかも200人もの人が参加しているぐらい人気があるのに、何故なんだろう?
自分でも悶々としていたが、「嫌なら行くな」と相談した人、全員がそう答え、わたしも納得していた。
ChatGPT にも何回も、しつこく同じ質問を投げかけた。

いつもは前日から重苦しく暗い気持ちを掻き消す努力をして、リュックサックや衣類、小物など用意するのだが、今回は、前日から何もしなかった。
この季節、着る服に困るなあ、、、とは思っていたが。
なぜなら、ウォーキングに徹した服(mont-bellに代表されるような)を持っていないから、服装選びが中途半端。
それはまあいいとして。
行くつもりで前から精神的にも頑張って鼓舞、ハッパをかけ、スケジュール的にも予定していた。
朝、出発時間が早いから、スマホのアラームをセットし、バスの乗車時間を前もってカレンダーに書き込み、スタンバイしていた。

が、朝方、ほんの少し頭が痛くなった。
なぜか、その痛みが福音をもたらすかのように、この痛み!!この痛みには意味がある!!見過ごすべき痛みではない!!
わたしは、ウォーキングに行かなくてもいい、と、神様の思し召し、、、と、勝手に自己都合で、自己解釈した。
神様が降臨した。ピカリ。
サボってもいいよ、と、にっこり。
そう悪魔が囁いた途端、(神様が微笑んだんじゃなかったのか?)、サボろう!と決めた。

そもそも、皆さん、おひとり様(単独)での参加がほとんど。
(友人と連れ立って、という人も中にはいるが、少数派)
予約不要で自由参加。
1人で参加して欲しい、と、わたしはAさんに再三再四、お願いしているのに、1人で参加したがらないAさんに引っ張られる格好で、お付き合い参加していた。

神様からの「頭痛」メッセージで、ドタキャンを決めたわたし。
時計のアラームがスヌーズ設定で何回も鳴るが、その度に、布団の中から手を伸ばして止める。
やがて、もうこの時間に起きなければ準備スタートには間に合わない時間になると、ほっとした。
やれやれ。
もう行かなくてもいい。