因はわたしにあるのか

マザコン男性は、甘い。
わたしは、自分が甘いため、相手が厳しい人だと着いていけない包包面
なので、結果的に甘い人を選んでしまうのか。
割れ鍋に綴じ蓋。

かといって、知的水準がわたしより下は嫌。
最低でもわたしレベル。
だから最低同士が釣り合うのか。
しかし、ママになるのは嫌だ。
甘えっ子の母親になどなりたくない。
可愛くもなんともない。
それよりもなによりも、甘えっ子と縁がある自分が許せない。
自分も甘えっ子だということを自覚せざるを得ない。
わたしの相方、1人だけならまだしも、2人とも、マザコンでテレビっ子。
これは、自分が変わるしかないのか。
自分が上に引き上がるが、下に引き下げられるか。
あるいは、変わりたくないなら、現状を受け入れて諦めるしかないのかSheffield 買樓

というか、よくよく考えると、同じようなタイプばかりを選ぶ原因はわたしにあるのかも知れない。
マザコン、、、これは逆に考えると、自分の考えはなく、人の言うままに支配されるということ。
ママの代わりをわたしがして、デメリットと共にメリットを享受すればよいのでは。

テレビ人間、、、これまた、自分では何も生み出さないが、飽きることなく延々と時間を潰していく名人である。
じつに安易にイージーに束の間の幸せを手に入れる。
羨ましい限りだ。

おまかせ受動テレビに救いを求めざるを得ないほど、それぐらい、日々の生活に心身を磨耗させているのだろうpest control
もし、入院したり老人施設に入所しても、退屈することなく、毎日を過ごせる。

しかしながら、本当に深刻な病状になると、テレビを見る気にもならない実例をいくつか知っている。
テレビを見るということは、まだ興味や好奇心があり、こころが生きている証拠だ。
こころの病気になりにくいとすると、素晴らしい効果だ。

なんだか否定から肯定へ、この流れ、(若手漫才の)「ぺこぱ」のネタのようだ。


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