今は、、、よい、、、と思っている。
また復活する日も来るかも知れない。
司令塔は、わたし。総指揮官は、わたし。
誰も口出しする人も、文句を言う人もいない。
ある日、頂点、トップの座に躍り出た。
なんの策も練らず、たんなるトコロテン方式
Pet CT scan。
なんと気持ちの良いことか。
見える景色は周りには何もない。
高い聳え立つ山の頂上に立ち、見えるのは雲か霞。
残念ながら、人の姿はない。
モンゴルの偉いお坊さんになったような気分。
権力闘争や跡目争いもない。
誰もこんなポジション、望まないし、人気もないし、実効性や実用性もないし、権力そのものもない。
美味しいウマミはゼロ。
こんな魅力のないポジションはない。
が、眼の上のタンコブがない、素晴らしい絶景。
この絶景に、山から落っこちても、誰にも影響はないだろう。
ただし、援助隊、救助隊も気づかない。
ババ抜き(トランプのゲーム)のババ、今度は誰が持つ
v line 脫毛?
ハンカチ落としのハンカチ、誰の後ろに落とされる?
こんな思いで、長年わたしがいたことを誰が知っているだろう?
じつにけしからん思いである。
が、わたしは宗教に振り回されてきた。
重い、深い、弾圧とはまた全く違う、、、ある意味、信仰の強制。
今、話題の宗教二世とはまた別もの。
全く意味合いが異なるのではあるが、微妙に共通点もある。
それは嫁ぎ先の宗教に染まらなければならないこと。
嫁ぎ先の先祖を敬わなければならない。
見たことも聞いたこともない、実質的アカの他人の皆皆様に、延々と祈りを捧げなければならない。
それは、「女偏(へん)に家」と書いて「嫁」と読む。
字の如く。そのまんま。
宗教行事は絶対的力を持つ。
それを執り行うことは、スゴイことなのだ。
伊勢神宮や平安神宮の宮司さんのようなもの?(ちょっと違うか、明らかに違うな、、、)
なにしろ、全エネルギーと知恵と労力と時間とお金をかけて、義務を遂行しなければならない。
宗派が違っても。信仰する神様が違っても。
旧統一教会などは、結婚までさせられるのだから、驚きを通り越して、完全に意味不明の洗脳をさせられる。
そこまで顕著なわかりやすい過激なことはないが、カテゴリー分けすると、宗教グループに属する。
洗脳されきっていない、中途半端な脳で、冠婚葬祭を執り行う。
麻酔をせずに外科手術を受けるようなものだ。
わたしは、かなり苦しんできた。
最初の頃は、はいはい、と素直に従い、なんとも思わなかったが、次第に眠っていた自分の考えが段々現れてきた
牙科專科醫生。
葛藤。
だが、わたしも日本人に多い、やんわり仏教。
三々九度の盃をウエディングドレスで行う。
神式で、チャペルではなかったが、どっちでもたいして変わりない。
神聖なクリスマスイブはターキーでお祝い?!(意味もわからず、イメージ戦略に毒されている)